学級経営がしんどいと感じた日、現役教員はどう乗り越えたか

「クラスがどうしてもまとまらない」「生徒との関係づくりがうまくいかない」——そう感じても、職員室では「弱音」として扱われることを恐れて相談できずにいませんか。

学級経営の悩みは、授業の悩みと違って相談しにくいという性質があります。授業なら「この単元の導入、どうしてますか」と聞けても、「クラスがまとまりません」は、そのまま自分の評価に跳ね返ってくるように感じられるからです。

この記事では、学級経営に悩んだときの考え方の整理と、現役の中学校教員が実際に試してきた乗り越え方を紹介します。読み終わったときに、明日の朝の会で試せることが一つでも見つかれば十分です。

執筆者

たけ。公立中学校教諭(22年目)。担当教科は数学。生徒指導・生徒会を担当。

国立教育政策研究所で全国学力調査に3年間携わったのち、現場に戻る。

勤務後、帰り道15分のボイスメモとAIとの壁打ちから、学級通信「なかま」を日々綴っている。

この記事の内容

長い記事です。上から順に読まなくて構いません。気になるところだけどうぞ。


01 学級経営の悩みが「一人で抱えやすいテーマ」である理由

学級経営がしんどいとき、多くの先生が「自分の力量の問題だ」と考えます。しかし相談できない状態が生まれるのは、力量ではなく学校という場の構造によるところが大きいです。理由は三つあります。

一つめは、責任が担任個人に集中することです。 教科指導は学年や教科部会で分担されますが、学級経営は担任一人に紐づきます。うまくいかないとき、それを引き受ける人が構造上ほかにいません。

二つめは、学級経営が「公開されない」ことです。 授業には研究授業という仕組みがあり、他の先生が見て意見をくれます。ところが学級経営には、それに相当する仕組みがほとんどありません。他のクラスの朝の会や、掃除の時間の関わり方を見る機会は、日常的にはまず訪れないのです。

その結果として起きるのが、比較対象を持てないという状態です。自分のクラスの状態が、中学校としてよくあることなのか、それとも手を打つべき状態なのか。判断する材料が手元にありません。判断できないものは、たいてい自分のせいだと処理されます。

三つめは、相談が評価と地続きに見えることです。 学年主任や管理職は、相談相手であると同時に、自分を評価する立場でもあります。「指導力不足と思われるのでは」という不安は、気にしすぎではなく、その構造から自然に出てくるものです。

この三つは、あなたが弱いから起きているのではありません。誰が担任をしても同じ条件が揃います。 まずそこを分けて考えるところから始めます。

学級経営だけでなく「もう教員を続けられないかもしれない」というところまで来ている場合は、先に「教員を辞めたい」と感じたら最初に確認したい7つのことを読んでください。順番としては、そちらが先です。


02 場面ごとに、見方を一つずらしてみる

「しんどい」は、そのままでは大きすぎて扱えません。どの場面で何が起きているかまで下ろすと、打ち手が見えてきます。

ただし以下は「できていないことの点検表」ではありません。同じ場面を別の角度から見ると、やることが変わるという並べ方をしています。

こうして並べると説教くさく見えるかもしれませんが、そういう意図はまったくありません。私も同じところでつまずいてきました。 全部を変える必要もありません。当てはまるものが一つあれば、そこだけ試してみてください。

朝の会・帰りの会

「静かになるまで待つ時間が長い」

「静かにしてください」と言い続けると、一年間言い続けることになります。 私がやりたいのは静かにさせることではなく、彼らが自分で静かにできるようになることです。

だから帰りの会は学級委員に任せています。「静かにしろ」とは言わないように、と学級委員にも伝えてあります。そのうえで、いつまでにできるようにするかは彼らに決めさせます。 あとはフィードバックです。「今こういう状態だけど、この目標のままでいい? 難しいなら、どうしていく?」

教員が整えていくと、それは担任の学級になります。主役はこどもです。

「連絡事項が伝わっていない」

その子が悪いというより、音声で受け取るのが苦手な子がいます。 視覚情報のほうが入りやすい子もいます。

係に伝えるときは、その子の目を見て話します。それでも、黒板に小さいホワイトボードを貼って書いておくことのほうが多いです。いまなら大きなディスプレイにパソコンの画面を映せるので、朝の時点で連絡事項を出しておいて、「必要なものはメモしよう」くらいでいいと思います。

伝わっていなさそうな子には、あとで個別に、付箋にメモを書いて渡します。「困ってたら言ってね」くらいの温度で。

伝わっていなくて、できなくて、忘れていた。そこを本人の責任にする前に、伝え方のほうを一つ変えられないかを先に見てみてください。そのほうが本質的です。

「号令や日直の当番が形骸化している」

形骸化して当然だと思います。誰も、お礼の気持ちで「お願いします」と言っていないからです。先生の指導が足りないからではありません。

だったら、授業者に対してではなく、その教科の内容に対して感謝するという指導にしてはどうでしょうか。数学なら、方程式や関数を考えついた数学者に敬意を持つ。歴史なら、その人物に。こんなことを学べる時間に感謝する。

一言そう伝えるだけで、こどもはちゃんと感謝の気持ちを持ちます。

授業中

「指示が一度で通らず、二度三度言い直している」

一度で通らないと、「これだけ言っているのに」という気持ちになります。私もそうでした。ただ、そこで回数を増やしても、たいてい楽にはなりませんでした。

一度で通らないこと自体は、そこまで問題ではないのかもしれません。 通らないなら、目の前まで行って静かに伝えればいい。言葉で伝わらないなら紙で。すぐ忘れてしまうなら、紙が目の前に残っていればいい。届け方を変えることで解決することもあります。

「他教科の先生から、クラスの様子について指摘を受けた」

「ありがとうございます」でいいです。正直、皮肉を込めて言われることもあります。でも、それを真に受ける必要はありません。

「そうですか、ご指摘ありがとうございます。私からも重ねて話しておきます」。これだけで十分です。それ以上、思い詰めなくていい。あなたのやり方で、あなたのペースで作っていけばいい。 時期的にできている・できていないは、あなたの計画の中で決まることです。

「特定の生徒に注意が集中し、その生徒との関係がこじれている」

できていないことに注目するのも大切かもしれません。でもそれ以上に、その子のできている部分に三倍くらい注目してあげてほしいと思います。

生徒というのは24時間ずっと何か問題を起こしているわけではなくて、その生徒がうまくいっている時間も、実はたくさんあるんです。

もう一つ。注意に感情が入っていないか、見てみてください。伝えるべきなのは、その生徒ではなく、行動のほうです。

  • ✕「あなた、聞きなさいよ」だと、話が聞けていないあなたはだめだ、というメッセージになる
  • ○「今、話が聞けていないから、こちらに集中して」と、行動を改める話をする

給食・清掃

「分担が決まっているのに、いつも同じ生徒だけが動いている」

分担の見直しを、学級会でやってはどうでしょうか。

やりたくないという生徒がいたら、先に少しだけ事実を伝えます。

「あなたが『やらない』という自由を使うと、困る人が出てしまう。

自分で選ぶ自由はあるけれど、それで他の人に迷惑をかけるのは良くないよね」

そのうえで、こう続けます。

「でも、今日はもうやらないのであれば、給食当番がちゃんと成り立つように別の人を立てる必要があります。

あなたが使っていたエプロンを他の人に使わせるわけにはいかないので、牛乳を運んでもらうとか、別の仕事をお願いすることしかできません。

あとで、その人にお礼は伝えておいてね」

自由は認めます。 ただし、それによって周りに影響が出るという事実は、そのまま伝えます。

こうしたちょっとした失敗も、自分の選択が誰にどんな影響を与えるのかを学ぶ機会になります。そのうえで、それでも学級のみんなで助け合って生活していくのだ、という姿勢そのものは示し続ける必要があると思っています。

理由が「面倒くさい」なら、「面倒くさい」そのものをテーマにした学級会をやってみてもいい。面倒くさくてもやったほうがいいな、と本人が思える状況を作る。それは担任の仕事だと思っています。

「教員が見ていない場所の掃除が、明らかに雑になる」

これは、いつのまにか「やらせる」形になっているサインかもしれません。

部活動でもありますね。厳しい顧問がいないとサボって、いる間だけ真面目にやる。主体的にやっているのではなく、やらされている。

これは先生の熱心さの問題ではなく、構造がそうなってしまうだけです。見ていないと崩れるなら、見ている量を増やすより、決め方のほうを渡してみてください。

「早く終わらせることが目的になっている」

早く終わらせること自体は、悪くないと思います。

大事なのは、目的をはっきりさせておくことです。教室が綺麗になって、次の日に快適に授業を受けられる。給食が安心して食べられて、こぼれたり皿が割れたりする危険がない。それが目的で、効率化はそのための方法です。ゆっくり食べる時間や、話しながら食べる時間を確保するために早くする。

一度、「早く終わらせる目的は、昼休みを長く取りたいから……だけでしょうかね?」と聞いてみてください。

放課後・部活動・保護者対応

「生徒同士のトラブルの事後対応で、放課後の時間が消えている」

トラブル対応で放課後が消えていくのは、正直しんどいです。仕事だと分かっていても、消えた時間のことを考えてしまいます。その気持ちは、まっとうなものだと思います。

ただ、しんどいと思いながら対応していると、その空気は案外こどもに伝わります。生徒は、対応そのものをよく見ています。そして「ちゃんと見てもらえていない」と感じると、また次が起きる。そうやって、かえって時間が溶けていくことがあります。

逆に、その生徒たちと真剣に向き合えば、その姿から、こどもたちは何かを感じ取るかもしれません。

先生は、その生徒同士のトラブルの対応を通して、こどもにどんなふうになってもらいたいのでしょうか。

「保護者からの連絡に、身構えるようになった」

身構えてしまうとき、いつのまにか保護者を「向こう側」に置いてしまっていることがあります。責める話ではありません。強い連絡が何度か続けば、誰でもそうなります。

そこで一度だけ、確かめてみてください。その保護者は、こどもの何を願って言ってきているのか。そして教員であるあなたは、何を願っているのか。たぶん、同じです。

これは04で書くことと全く同じ構造です。こどもの行動だけに注目した生徒指導が外れるのと同じで、言葉の一言一言に反応すると外します。「この人は、こう話すことでどうなりたいんだろう」。合っているか間違っているかはいったん置いて、まず気持ちのほうを受け止めてみてください。

「そのように思われているのですね」と、話している気持ちには共感する。けれども、話している内容に賛同するのとは違います。 ここは分けて考えてください。

保護者対応そのものがつらくなっているなら、保護者対応で心が折れそうなときの対処法に、場面別の対応をまとめています。

「クラスのことを考えると、朝起きるのがつらい」

これは、私にもありました。07で書きます


03 「まとめよう」とするほどうまくいかない理由

うまくいかないとき、まず出てくるのが「もっとしっかりまとめなければ」という発想です。声を大きくする、ルールを増やす、違反への対応を厳しくする。短期的にはたしかに静かになります。

問題は、その静けさが何によって支えられているかです。

  統制でつくった静けさ
     ↑
  教員が見ている・声を出している・圧をかけている
     ↑
  ぜんぶ 教員のエネルギー供給で成り立っている
     ↓
  供給が切れた瞬間(疲れた日・出張・年度末)に、まとめて崩れる

統制型の関わりには、三つのコストがあります。

一つめは、教員側の消耗です。 静けさを維持するために、常に見ていなければならなくなります。見ていない時間に崩れるので、見る時間を増やす。これが「しんどい」の正体であることは少なくありません。

二つめは、生徒に「自分で決めた経験」が積まれないことです。 従っている状態は、判断していない状態でもあります。指示がないと動けないクラスは、放課後や行事など、教員の目が届かない場面で必ず露出します。

三つめは、崩れたときの落差です。 抑えていたぶんだけ反動が大きく、「あれだけやったのに」という徒労感につながります。この徒労感が、辞めたいという気持ちに直結することがあります。

つまり、まとめようとする力が強いほど、うまくいかなくなったときのダメージが大きくなるという構造があります。力の入れどころを変える必要があります。

この構造をもう少し掘り下げたものが教員の「しんどい」の正体|Control型指導の限界です。あわせて読むと、次の04が入りやすくなります。

同じ悩みを、他の学校の先生はどう扱っているか

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04 私が変えたのは、たった一つの問いでした

生徒指導の場面で、私が長いあいだ口にしていたのはこういう言葉でした。

「なぜそんなことをしたんだ」

「そんなことをして、相手はどんな気持ちになったと思う?」

原因を聞いている形をしています。でも、正直に振り返ると、私は理由を知りたかったわけではありませんでした。「そんなことをしてはいけないだろう」ということを伝えたくて、質問の形を借りていただけです。

そして、ここが肝心なのですが——その生徒は、それがいけないことだと、とっくに頭では分かっています。 分かっているのにやってしまった。そこを「なぜやった」と問われても、答えようがありません。私はそのことを考えられていませんでした。

いま、私が最初に口にするのはこれです。

「そうか。そんなことがあったのか……」

責めるでも、許すでもなく、起きた事実をそのまま受け止めるところから始めます。そのうえで、順番に聞いていきます。

三つの段階

段階1:事実を、一緒に確認する「そうか、そんなことがあったんだね」。評価をつけずに、何が起きたかだけを本人と揃えます。

段階2:いまの気持ちを聞く「今、どんなことを感じてる? 体のどこかが痛むとか、苦しいとか、あるかな」「それとも、まだすごくイライラしてる? そのイライラって、どんな感じ?」

ここでの禁じ手が一つあります。あとで書きます。

段階3:本人の意思を聞く「それで、あなたはどうしたいの?」

そして最後に、必ずこれを付け足します。

「何か私が力になれることはありますか?」

すると生徒は、「いや、ちょっと自分でやってみます」「もし困ったら助けてください」と返してくれます。

対比してみると

原因を追及する形意思を問う形
「なぜそんなことをしたんだ」「そうか、そんなことがあったのか」
「相手はどんな気持ちになったと思う?」「今、あなたはどんな気持ち?」
「謝りなさい」「あなたはどうしたいの?」
(教員が答えを持っている)(答えは本人の中にある)

左側は、質問の形をした指示です。右側は、本当に聞いています。この違いは、生徒には一瞬で伝わります。

けんかを止めるときも同じです

生徒二人がけんかをした場面なら、私はこう聞きます。

「そうか、二人はそういう感じでけんかになったんだな。

でも、また同じような理由でけんかになりそうだよね。

このまま同じ理由で何回も続けていくの?」

「そのたびに私が入って、同じように止めればいい?

二人は、けんかをすることが目的なの?」

少し先を想像させてから、「じゃあ、どうしたいのか」を聞きます。

すると見えてくるのは、けんかも暴力も目的ではないということです。自分の思ったことをうまく伝えられなかった。伝え方が分からなくて、言葉の代わりに手が出た。折り合いのつけ方が分からなかった。原因はたいていそちらにあります。

だから、「本当はこうしたかったんだね」と、そちら側を言葉にして返します。そのうえで「じゃあ、それをやってみたら」と提案します。

「対立」は、願いが違うから起きるとは限らない

授業中に注意された生徒が、納得のいかない顔で職員室に来ることがあります。話を聞くと、注意した先生への苛立ちが顔に出ている。最初は、その場をどうごまかそうかという表情をしています。

そこで、私はこう聞きます。

「その先生は、どうして注意をしたんだと思う?」

少し考えて、たいていこう答えます。「僕が、ちゃんとやったほうがいいと思ってるから……だと思います」。

次に聞きます。

「じゃあ、あなたは本当はどうしたかったの?」

「そりゃ、こうなりたくはないですよ」。そう答えた瞬間に、表情がふっと変わることがあります。自分で言った言葉に、自分で気づくのです。

「先生も、僕も、同じことを思ってたってことですか……」

注意してくれた先生が、実は自分と同じ方向を向いていた。それに気づいたとたん、さっきまでの納得のいかない顔は、どこかに消えています。

このとき私がしたのは、答えを渡すことではありません。本人が自分の中にある答えに気づくまで、少し待つことだけです。

ここから引き出せることがあります。対立は、願いが違うから起きるとは限らない、ということです。

教室の中でも家庭の中でも、「対立している」ように見える場面はたくさんあります。でもその多くは、願っていることが違うから起きているわけではありません。願いは同じなのに、伝え方や立場の違いから、ぶつかっているように見えているだけなのかもしれません。

「なぜそんなことを言うんだ」と相手の言葉の裏側を責めるより、「これを言うことで、相手は自分にどうなってほしいんだろう」と考えてみる。すると、腹立たしさの向こうに、実は自分を思ってくれている誰かが見えてくることがあります。

提出物を忘れた生徒に「何度言ったらわかるの」と言いたくなる。その言葉の裏には「将来困らないでほしい」という願いがある。そして本人も、本当は「困りたくない」と思っている。願いは同じところにあるのに、片方は小言になり、片方は反発になる。 教室でも家庭でも、たぶん日常茶飯事です。

答えが返ってこないときは、戻る

「あなたはどうしたいの?」と聞いても、何も返ってこない生徒はいます。

そういうとき、私は選択肢を示すこともありますが、それより先にやることがあります。その子がいま話せるところまで、一度戻るのです。

「そうか。やっぱり難しいよな。……でも、今はどんな気持ち?」

問いを噛み砕いて、スモールステップにする。答えられる高さまで下げて、そこからもう一度、一緒に確認しながら進めていきます。

そうすると、たいてい何か言ってくれます。言わせるのではなく、本人が言いたくなる。自分で気づく。 そこを目指しています。

うまくいかなかったこと:「気持ちは分かるよ」は封じ手

寄り添おうと決めた最初の時期、私は盛大に外しました。生徒にこう言われたのです。

「先生って、分かったようなつもりで話すけど、分かってないと思うよ」

そのとおりでした。私は「あなたの気持ちは分かるよ」と言っていたのです。

  • 「こんなことしちゃったんだね。分かるよ」
  • 「まずかったな、って思ってるんだよね」
  • 「あの子に悪かったな、って思ってるんでしょ」

先回りして気持ちを決めつけていました。 これをやると、生徒はもう二度と話してくれません。

いま思うのは、教員は「何でも分かっている存在」である必要はない、ということです。むしろ「分からないから教えて」と言えることのほうが大事でした。

  • ✕「あなたの気持ちは分かるよ」
  • ○「あなたは今、どんな気持ちなの?」

事実を知っているかどうかではありません。その生徒の気持ちを知りたいと思っているかどうかです。「へえ、そんなふうに感じていたのか」「そうだったんだね、それはつらかったね」——生徒が話してくれたことに対して、そう返せるかどうか。

生徒はいつでも教えてくれます。私の大学院時代の恩師は、授業が分からなくなったとき、どうしていいか迷ったときは「こどもに聞きなさい」と、いつも言っていました。生徒指導も教科指導も同じです。教員は、「大人が知っている答えを渡すこと」を重視するだけではなく、「いまこどもが感じていることを聞いて、そこに自分の経験を照らし合わせること」が大事なのだと、いまは思います。

この考え方の背景は、こちらの記事にまとめています。→ 教員の「しんどい」の正体|Control型指導の限界


05 校内の相談だけでは足りない理由

「まず学年の先生に相談してみては」と言われることがあります。それ自体は正しいのですが、それだけでは足りない理由があります。

同じ学校の先生は、あなたと同じ前提を共有しているからです。

同じ校則、同じ地域、同じ学校文化、同じ管理職。その中での助言は、たいてい「その前提の中でどう頑張るか」という形になります。前提そのものを疑う視点は、同じ前提の中にいる人からは出てきにくいものです。

「うちの当たり前」は、当たり前ではありません

全国の先生と話していると、驚くことがたくさんあります。

  • 朝の会をやらない学校がある
  • 学級目標を立てない学校がある
  • 三者面談そのものがない学校がある
  • 三者面談はあるけれど、定期テストの結果について三人で話す時間になっている学校がある

どれが正しいという話ではありません。学校や地域が変わると、やり方も、その前提にある発想も違うというだけです。

ただ、これを知っているかどうかで、自分の学校の見え方が変わります。「朝の会が回らなくてしんどい」と思っていたものが、「そもそも、これは何のためにやっているんだろう」と考えられるようになる。悩みそのものではなく、悩みの手前にある前提のほうを動かせるようになります。

01で書いた「比較対象を持てない」という問題に、これが直接効きます。

相談できるだけでなく、アイデアが生まれます

もう一つの効用があります。校外の相手は、あなたを評価しません。 人事評価とも、来年度の校務分掌とも関係がない相手に話すことで、初めて言えることがあります。

そして、これがいちばん大きいのですが——違う環境の話を聞いていると、自分の学校のことを考えたときに「じゃあ、うちはこうできるんじゃないか」というアイデアが生まれやすくなります。

相談できる、というだけではありません。新しいものを生み出せる。 全国の現役教員が集まる場の価値は、そこにあると思っています。

具体的な場の作り方は一人で抱えない先生へ|全国の先生とつながる場所の作り方にまとめています。


06 変化は「行動」より先に「心」で起きている

学級経営の改善は、一気にやろうとするほどうまくいきません。よく言われる「小さな成功体験を積み重ねる」も正しいのですが、そのままでは実行できません。何を成功と数えるかが決まっていないからです。

何を数えるか:行動と心を分ける

たとえば、すぐ手が出てしまう生徒がいるとします。職員室に上がってくる報告は、いつも行動の形をしています。「〇〇が叩きました」。

でも、その生徒の中では、もっと前から変化が起きていることがあります。

  心の変化                          行動
  ────────────────────────      ──────────
  この前も叩いてしまった              …
  今度は叩かないぞ、と決めた           …
  いま噴火しそうだ、我慢しないと        …
  ぐっとこらえている                  …
  あおられて、爆発した          →     叩いた(報告はここだけ)

前向きな気持ちを持っていたのに、結果としては失敗として記録される。報告に上がってくるのは、いつも一番最後の行だけです。

だから私は、行動を責めるのではなく、何とかしようとしていたその気持ちのほうを見るようにしています。数えるべき小さな成功は、そこにあります。

大きすぎる(数えられない)数えられる粒度
クラスが落ち着いた今日の朝の会は、待たずに始められた
生徒が主体的になった掃除で、指示していない場所を自分で片付けた生徒がいた
あの生徒が変わった爆発する前に、一度こらえた時間があった
授業が成立した指示を一度で通せた場面が三回あった

私がやっている残し方

日中はスマホを持ち歩けないので、胸ポケットに小さい手帳を忍ばせています。思ったこと、うまくいったこと、そうでないこと、気づいたこと、考えたこと——全部そこにさっと書きます。職員室に戻ってから、あるいは帰宅してから、それをスマホのメモに移します。

もう一つ習慣があります。帰り道の15分、歩きながらスマホに音声入力で、その日あったことをしゃべっています。

特別なことを話すわけではありません。歩きながら一日を振り返って、思い浮かんだ順にただしゃべるだけです。事実を話すこともあれば、それに対して思ったことを話すこともある。しゃべりながら「いま思うと、こうだよな」と振り返りが出てくることもあります。誰かに伝えるわけでも、文書にするわけでもないので、とにかく素直に、思ったことをそのまま出します。

続かない時期もあります。 別の考えごとをしていたり、余裕がなかったりする日は、音楽を聴きながら歩くだけです。続けなければ、と思ってやっているわけではありません。しゃべりたいから、メモを取りたいからやっている。「何かしなければ」という気持ちでいると、たぶんつらくなって続きません。「まあいっか」くらいがちょうどいいと思っています。

読み返すと、自分に驚きます

これは特に音声メモで感じることですが、あとからAIで文字に起こして読み返すと、「へえ、自分はこんなことを考えていたのか」と思うことが多いのです。

「こんなことを思って、それでこんなことも思ったんでしょ。じゃあ、やっぱりそうなんじゃない」——自分の思いを並べて、比べたり、整理したりできます。発見があります。

もし日々の学級経営で悩んでいるなら、まず自分の気持ちを文章にして、それを自分で見てみてください。それで道が開ければ、それでいい。それが難しい、やっぱり悩んでいる、となったら、いまならAIに「何かいい方法ないかな」と相談してみてもいいと思います。

手帳が本当に効くのは、「あれっ」と思った瞬間です

書き留めているのは、うまくいったことだけではありません。いちばん役に立っているのは、違和感のメモです。

生徒と接している中で、「あれっ」という表情をした。「おやっ」と思った。教員として見ていて、何か引っかかった。そういうときは、その子に必ず何かがあります。

ただ、日々の業務の中では、その一瞬の気づきをまず見逃します。というより、そのままにしてしまいます。だから短くメモしておいて、帰りの会のあとや、ちょっとした時間に聞くのです。

「あのときさ、なんか変な顔してなかった?」

覚えておけないから書く。 自分の記憶の外づけ、という使い方です。「これを書いてよかった」という劇的な一件があるわけではなくて、この積み重ねのほうが効いています。

もしスマホを持ち歩ける職場なら、スマホでいいと思います。メモアプリをウィジェットに置いておけば一瞬で開けますし、ボタンひとつでしゃべって、あとで見返せます。ただ、パッと見てパッと動くことを重視するなら、紙のメモ帳のほうが再現性は高いかもしれません。

他の先生が「何を成功と数えているか」を見てみる

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07 孤独感は、消さなくていい

私も、教室に入りたくない年がありました

20代後半のことです。臨時採用で移った学校で、担任した学級が大変でした。うまく回らず、引っ掻き回されて、「ああ、疲れた」となりました。

朝の会も緊張します。声が硬くなるのが自分でも分かります。「うわ、教室に入りたくないな」と思いながら、廊下を歩いていました。

つらすぎて、起きられない日もありました。学年主任から電話がかかってきて、

「おい、もう8時15分だぞ。お前どこにいるんだよ」

「……家で、まだ寝てます。起きられません。体が動きません。ごめんなさい」

いま思えば、それを言える相手がいたことのほうが大きかったと思います。先輩の側になったいまは、そう言ってもらえる環境を作りたいと思っています。

無理に笑顔を作っても、たぶんバレます。

教室全体が敵に見えるとき、実際は一割もいない

そのころに気づいたことがあります。

つらいとき、教室全体が敵に見えます。でも、よく見てほしいのです。30人いて、30人全員があなたを睨んでいるわけではありません。たぶん、一割もいません。

生徒指導でも、この手を使うことがあります。名簿を渡して、「この中で、あなたを攻撃している人に印をつけてごらん」と言うのです。40人いても、印がつくのは2人か3人です。

そのあと、一人ずつ聞いていきます。「この子は?」「……この子は、ちょっと仲いいです」「この子は?」「『今日も一緒に遊ぼう!』って、約束してるんだ」。

すると本人が言います。「いや、本当だ。全然、あの子たちだけじゃん」。そして教室に戻っていきました。

先生も同じです。何もしない子、見ているだけの子まで、同じように攻撃してくるように感じてしまう。でも実際は違います。特定の誰か、なのです。 そこに気づけると、少し楽になります。

そのうえで

工夫を重ねても、しんどさや孤独感が消えないことがあります。

ここで一つ、はっきり書いておきたいことがあります。私は、孤独を感じること自体が良くないこととは思っていません。

「あ、自分はいま孤独だな」。そう客観的に思えているなら、その時点で、孤独のどん底からは半歩抜けています。 自分の状態を外から見られているということだからです。消そうとしなくていい。まず、気づけていることのほうが大きい。

出す先は、人でなくてもいい

中学生のころ、友達がこんなことを言っていました。いまでも覚えています。

「俺は悩みを誰にも相談しないんだ。だって、解決してもらうわけじゃないでしょ。

聞いてもらいたいだけでしょ。だったら俺はいいや」

なるほどな、と思いました。気持ちを吐き出すことの大切さを否定したいわけではありません。ただ、吐き出す先は、必ずしも人でなくてもいいということです。

  • 手帳に書く。 誰にも見せない前提で、しんどい場面を三つ書き出す(02の場面リストをそのまま使って構いません)
  • 歩きながらしゃべる。 音声メモに、思いついた順にそのまま出す
  • AIに相談する。 文字にしたものを見せて、「何かいい方法ないかな」と聞いてみる

書き出せた時点で、それは他人に伝えられる形になっています。そして多くの場合、話しながら、書きながら、自分の中で解決の糸口が見えてきます。

誰かに話すなら

話す相手は、信頼できる人なら誰でもいいと思います。どう切り出すかを気にする必要もありません。

生徒が本音を話してくれるときと同じです。「いやー、無理」と言える相手、本音をさらけ出せる相手がいれば、切り出し方は何だっていい。逆に言えば、切り出し方を工夫しないと話せない相手なら、その相手ではないのかもしれません。

話して変わるのは、たいてい気持ちです。軽くなる。場合によっては解決の糸口まで見える。そして実際に変わるのは、「よし、こういうふうに生徒に接してみよう」と思えることです。

自分の心持ちが変われば、行動が変わります。行動が変われば、未来が変わります。それは生徒が変わることにつながって、ぐるっと回って、先生であるあなたの気持ちが変わるところに戻ってきます。

そして、味方はいます。 中学校てらすにもいます。

あの一年の、その後

あの年は、後半になって学級が楽しくてたまらなくなりました。よく一年耐えたな、と今でも思います。

いちばん手を焼いた生徒は、卒業式の日に、私に抱きついてきました。 私はもう別の学校に移っていたのですが、呼んでもらって式に行ったのです。「うわ、来てくれたんだ」と言われました。

つらかった年のことは、そのときの記憶だけで終わりません。

ただし、ここだけは線を引きます

しんどさが二週間以上続き、眠れない・食べられないといった身体の変化が出ている場合は、この記事の範囲を超えています。 産業医、自治体の相談窓口、医療機関を先に使ってください。同僚に話すより先で構いません。

自分がどのあたりにいるか分からないときは教員が「もう無理」と感じる瞬間と、限界サインの見分け方で確かめてください。そして、辞める以外の道として「休職」「異動」という選択肢もあります。辞めるかどうかを、いま決めなくて構いません。


タイプ別・いまの状況に近いのはどれか

A:まとめようとして疲れている03の構造に当てはまっています。02で当てはまった場面を一つだけ選び、04の「三つの段階」を一週間試してください。クラス全体を変えようとしないことが条件です。

B:気持ちを先回りして言ってしまう自覚がある04の「封じ手」を読み返してください。「分かるよ」を「どんな気持ち?」に変えるだけで、返ってくる言葉が変わります。

C:同じ学年の先生に相談しにくい05が当てはまります。校内で解決しようとせず、評価に関わらない場所を先に確保してください。順序を逆にすると、相談する前に消耗します。

D:孤独感が強く、指導への自信を失いかけている07です。孤独を消そうとしなくて構いません。まず手帳でも音声メモでもいいので、外に出すところから始めてください。

E:身体に変化が出ている(眠れない・食べられない・涙が出る)この記事の範囲外です。産業医・自治体の相談窓口・医療機関へ。先延ばしにしないでください。判断の材料は限界サインの見分け方に、辞める以外の道は「休職」「異動」という選択肢にあります。


よくある質問

Q. 学級経営がうまくいかないのは、指導力不足ですか?A. 必ずしもそうではありません。01で述べたとおり、担任個人に責任が集中し、比較対象を持てず、相談が評価と地続きになるという構造があります。同じ条件なら誰が担任をしても同じ負荷がかかります。

Q. 「なぜそんなことをしたの?」と聞くのは、よくないのですか?A. 本当に理由を知りたいのなら構いません。問題は、「いけないことだ」と伝える意図を質問の形に隠しているときです。生徒はその意図を見抜きます。そして多くの場合、いけないことだと本人はすでに分かっています。

Q. 「あなたはどうしたいの?」と聞いても、答えが返ってこないときは?A. 選択肢を示す手もありますが、その前に問いを噛み砕いて、本人がいま答えられる高さまで戻してください。「そうか、やっぱり難しいよな。でも、今はどんな気持ち?」から始めて、一緒に確認しながら進めます。言わせるのではなく、本人が言いたくなる状態をつくるのが目的です(04を参照)。

Q. 落ち着いて聞く余裕がないときは、どうすればいいですか?A. こちらが感情的に話すと、生徒も感情的になります。その場で無理に話さず、時間をずらしても構いません。大事なのはセリフを言うことではなく、気持ちが穏やかになる方向に進む話し方をすることです。

Q. 学年の途中からでも、関わり方は変えられますか?A. 変えられます。ただし急な変更は生徒に伝わってしまうので、行事や学期の切り替わりなど、区切りに合わせると自然です。

Q. 学級経営の悩みは、経験年数を重ねれば解決しますか?A. 対応の引き出しは増えますが、それだけでは同じ悩みを繰り返すことがあります。視点の転換と、校外との比較が伴って初めて変わります。

Q. 保護者から「厳しくしてほしい」と言われた場合は?A. 目的(生徒が自分で動けるようになること)と手段(声のかけ方)を分けて説明してください。手段の話に見えるものは、たいてい目的が共有できていません。

Q. どんな実践共有の場がありますか?A. 全国の現役中学校教員が、学級経営や校務分掌のアイデアを共有しているコミュニティがあります。中学校てらすの無料LINEオープンチャットもその一つです。


まとめ:うまくいかなくて当然、から始める

学級経営がしんどいのは、あなたの能力不足ではありません。担任一人に責任が集中し、他のクラスを見る機会がなく、相談が評価と地続きに見える——同じ条件なら誰でもしんどくなる構造があります。

私が変えたのは、たった一つの問いでした。「なぜそんなことをしたんだ」を、「あなたはどうしたいの?」に。うまくいかなかったことを叱るのが、私たちの仕事ではありません。 本人が自分でどうしていけるかに気づいて、そうしていこうと自分で思えること。生徒指導も学級経営も、そこに向けて導いていく仕事なのだと思います。

うまくいかなくていい。そう思えていることが、たぶん一番効きます。

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